先日次男の通っていたシンガポールの大学の卒業式に参加してきました。次男は7月よりシンガポールで社会人となります。完全に親の養育から抜けることになりました。

いつもありがとうございます、カウンセリングサービスの沼田みえ子です。
親に干渉された子供時代
私は子供時代、特に中高時代は父親に監視されているように感じる生活を送っていました。
当時日記をつけていたのですが、想いを寄せるクラスメイトの男子のイニシャルをその日記に書き記していました。(S君とかK君とかです)
ある日家の電話の傍にあった「住所録」の最後のページをめくったら。
サ行とカ行の男子生徒の住所と電話番号がずらっと書き記されていました。書体は父のもの。
昔は個人情報なんて無頓着で、クラスの保護者にクラスメイトの住所と電話番号が年度初めに配布されるのですよね。
その私が想いを寄せる男子がどんな家に住んでいるのか、父は調べていたのです。(怖!)イニシャルでしかないから、それに相当する家に実際に行っていたようなのです。(どんだけ暇!!)
まぁ変な男と付き合わないように、と父なりの愛情だったのでしょうが、私は日記を見られたことへも怒りしかありませんでしたし、自分の領域を荒らされたような気がして、父への嫌悪感は相当なものでした。
高校を卒業して大学に行く時にも、「うちには十分なお金がない。弟2人は男の子で大学に行った方がいいから、女であるあなたは短大に行きなさい」と言われ、性別で進路を決められてしまったこともショックでした。
もちろん親は子供の養育の義務があり、子供は育ててもらっている身。経済的に頼っている身としては当時私は何も言えず、親に従うしかありませんでした。
でもね、悲しかったんだよねー。
なんだか「自分の人生なのに、自分で決められていない感覚」といいますか。だから自分の子供たちにはこんな想いを絶対にさせたくない、と思いながら息子達に関わってきました。
子供を一人の人間として尊重するお母さんたち
私の2人の息子の子育ては、長男が中学に入学するまでと次男が小2になるまでずっと海外でした。
ドイツとロシアとイギリスで子育てだったのですが、特にイギリスでの4年半の育児では「子供を尊重する育児」を目の当たりにしてきました。
転勤族はなかなか公立の学校が人気で入る事ができないので、私立に通う家族も多くいました。ロンドンは金融の街としても有名なところで、息子たちが通う小学校にも親が金融関係の方が多く、裕福な家庭が多かったのも理由の1つだったのかもしれません。
お母さんたちは気持ち的に余裕のある方が多く、子供に優しく接するお母さんにたくさん会いました。
子供達が「ママ、あのね」と話し出せばほとんどのお母さんがしゃがんで子供の目線に合わせて、「Yes,Darling?」「Yes,Honey?」と子供の声を尊重して受け止めようとしていました。
そのほかにも「あなたはどうしたいの?」と子供の意見を聞く姿勢もすごいなぁ、、と思い、私も取り入れよう!と心に留めながら息子たちに接してきました。
これは子育てを終えた今、振り返っても本当に良い環境に身を置けたなぁ、、としみじみ思います。
子育てはドロドロ時代があっても不思議じゃない
カウンセリングでお話を伺わせていただくクライアントさんたちには、いわゆる「毒親」と呼ばれる方が母親、または父親であるケースが少なくありません。
過干渉だったり
または子供に関心がなさすぎたり
暴力でコントロールしようとしてきたり
兄弟によって愛情の掛け方を極端に変えたり
感情的に怒りをぶつけてきたり
子供の気持ちに寄り添わなかったり
このような子供時代を過ごしてきて、大人になった今、自分に自信が持てず生きづらさを感じている方に多く出会います。
実は私もひどいお母さんをしていた時期がありました。
ドイツで次男を出産した時には、とにかく泣き声が大きく、また昼夜関係なく泣き叫ぶ次男でした。
当時マンションに住んでいたのですが、次男が泣くと隣人からは壁を叩かれ、ピンポンをなん度も押され、ドアを開けると誰もいない、という嫌がらせをたくさん受けて来ました。
下の階の人からは棒で床を突かれることもされました。
そんな状態だとついつい心の余裕が持てず、長男にも優しくできなかったり、次男には「あなたのせいで!!」と怒りを感じることも沢山ありました。
またこともあろうことか、当時はドイツ語が上手に話せない長男だったので現地幼稚園でいじめられていて、私は子供のことで振り回されている感がひどく、イライラ感が半端ない状況でした。
今から思い返しても、暗黒時代でしかありませんでしたねー。
でもそんな私でも、ロシアに転勤になってから少しづつ息子たちに対して余裕を持てるようになって来たのです。次男が幼稚園に入って私に育児から解放される時間が持てたことも勿論そうですが。
こんなダメダメなお母さんであった私を初めて認めてくれたママ友が現れたのも大きな理由でした。
以下の記事ではダメママ→褒めママに変わる経緯を書きました。

そしてイギリスでの「子供を尊重するお母さん達」との出会い。
私が大きく息子達への接し方が、「尊重」に振れたのは長男が小3、次男が4歳の時。
それまでは私にも心理学の知識ももちろんなかったですし。
何より心に余裕がなかった。
でも当時は必死で育児を自分なりにはしていたのです。百点満点のお母さんではなかったけれど。
もしもあなたがお母さんならば。
もしもお母さんとして、いろいろ叱ってしまったりイライラをぶつけてきてしまっていたとしたら。
今からで大丈夫。お母さんであるあなたにお伝えしたいのです。
「あなたはどう生きたい?」
「あなたはすごいんだから」
「あなたならできるよ」
「あなたなら大丈夫だよ」
そんな言葉をお子さんにかけてあげてほしい。
私が「子供を尊重する」に振り切ったあの日から、ずっとずっとかけて来た言葉です。
子供を信頼してあげる
だからなのか、次男は高校1年生から「自分はこの分野の仕事に就きたい」と大まかのビジョンを描くようになり、そこに行き着くための行動をとるようになりました。
そして高校3年生に入り、シンガポールの大学を目指すことに決めました。
その後世界中から集まる学友と4年間を過ごしながら、狙い撃ちしたシンガポールの企業でのインターンを経験して採用にこぎつけました。
なんでシンガポール?ってきっと多くの人は思うと思うのです。私も思いました。
留学といえばアメリカ、が主流ですよね。
実は私も全く知らなかったのですが、シンガポールの大学に進むとシンガポール政府から1年分の学費を支給してもらえるのです。
でも条件があります。それは卒業したら最低3年間はシンガポールにある企業で働かなければならないという条件。
それを破ると大学費用2年分の違約金を払わないといけないのですよ。
我が家の経済事情を次男は一応考慮してくれていたみたい。実は次男は日本の大学にかかるであろう金額と、この留学で掛かる費用の差額を社会人になったら親に返済する話をつけてくれていました。
そして旅立ちました。
そしてこれまたすごい事実がありまして。次男はよく調べていたなぁ、、と親バカながら感心してしまうのですが、シンガポールの所得税は日本のほぼ3分の1なのです。しかも所得は日本の2倍近く。もちろん家賃は日本よりも高いので所得は高いのは当たり前なのですが。
わかりやすくいうと、日本で働くよりも手取りが良いということ。だから1年分の奨学金支給の条件なんだけれどシンガポールで働かせて頂けるのは、こちらとしてもありがたい話。
こういった情報を高校3年生の次男が見つけて、そして目指そうと思った理由はやはり自己肯定感かと思います。
自分が幸せになるために、自分がどう生きようか?
これをあなたの子供にも、そしてあなた自身にも今一度聞いて欲しいなー。
さてさて私達夫婦子育て終わってなんだかバグってしまい、この前シンガポールに行ったばかりのに、また来週旅行だよ!
次は出雲大社です!
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