親戚や仕事関係などで、人が集まる機会があると干渉されたくない話題を振られることがあります。
例えばまだ独身だったりすると
「まだ結婚しないのか?誰か良い人はいないの?早く孫の顔を見せてあげなさいよ」
なんてことを言われたりします。
そんなこと言われなくてもわかっているし、言われたくもないことを一方的にわーわー言われ、ちょっと嫌な気持ちになることはありませんか?
いつもありがとうございます、カウンセリングサービスの沼田みえ子です。
NOを言う勇気が持てない
田舎の近所のおばさんは、ひとたび道すがらに会うと話が止まらない。
正直会いたくないのだけれど、会ってしまったら挨拶だけではすまない。
永遠続くつまらない話。
話が終わりそうになったら、
「じゃあ失礼しますね・・」
といえば、
「そういえばね・・・」
と話がさらに続く・・。
もう助けてぇ・・。ヽ(TдT)ノ
何てこと、あるかもしれません。
このような人は悪気がない場合が多く、本人も相手が迷惑に思っていることに気が付いていないことが多いのですよね。
でも、ここで聞き役になってしまう方の多くは「とてもいい人」が多いのです。
「NO!」がなかなか言えない人。優しいのですよね。
「これも人助け。きっと寂しいのね。人恋しいのね」
と思えて話を聞けていれば問題は全くないのですが、本当は嫌なのに、無理して犠牲して聞いているとしたら、自分と相手の境界線(バウンダリーズ)があいまいになっている方かもしれません。
境界線を引く話し方
冒頭の結婚話も、きっと言う本人は良かれと思ってアドバイスをしているつもりなのかもしれません。でもそのアドバイスを、伝えている相手が必要だと感じているのかどうか確認することなく、境界線を乗り越えてきちゃっているのですよね。
境界線の内側は「パーソナルスペース」とも言いますが、自分と相手の程よい距離感をさします。
この境界線をはっきりさせる話方の一つに
「私は・・・・・だと感じる」
「私は・・・・だと思う」
と言う表現があります。
つまり、主語をはっきりさせることが大事なのです。
「私はその手の話はしたくないのです」
「私は今時間がないので、失礼しますね」
などと、相手を良いか悪いか、とジャッジするのではなく、自分はこう思う、と自分の意思を伝える。
それによってどう感じるかは相手に任せる、というもの。
もちろん極力相手を傷つけたくない、という気持ちは素晴らしく、優しさにあふれています。
ですがそれ以前に自分自身が犠牲をして我慢をしてしまうことは自分を大切にしていることにはならず、辛さが増すだけ。
「いい人」と「都合のいい人」は別物です。
ちょっと話に付き合ってあげるかぁ~、と思えるならば、じっくり話を聞いてあげてOKですが、
断れないから我慢して聞くか・・・という場合には、
「私は・・・・と思う」という「私はで始まるメッセージ」で伝える方法、試してみてはいかがでしょうか?
こんなこと言っちゃうと嫌われちゃうかな?と心配な方は、5回に1回の割合でもいいと思うのです。
(過干渉な親をお持ちの方は、なかなか言えない方が多いです)
境界線を引く。自分を守るために大事なことですよ。
自分軸で生きることは一概にわがままではない
先ほど、過干渉な親をお持ちの方は、なかなか「私は、、、、、、と思う」が言えないとお伝えしました。
過干渉な親のもとで育つと、自分の意見を伝えると「わがまま言うんじゃありません」と嗜められる経験をした方に出会うことは結構な確率であります。
過干渉な親の場合、
「お母さんの言うとおりにしなさい」
「お母さんの言うことに間違いはない」
と、子供に母親(または父親)の意見を押し付けてきます。
この場合親の言うことが正しく、子供の言うことは間違っている、という程でコミュニケーションをとってきますので、子供の意見は封じ込められることがとても多いのです。
でも本来、親と子供であるあなたは別の人間ですから、意見も感じ方もこうしたいと思う気持ちも、親の思う通りではないことも当たり前ですよね。
でも、自分の意見を主張することが間違っていると感じるならば、
自分の意見を持つことは間違っていませんよ
とお伝えしたいです。
わがままと自分軸を持って生きることは、何が違うのでしょうか?
大きな違いに、わがままは「相手の意見を全く聞かず、全て自分が正しい」と思っていたり、誰かを傷つけてまで自分の意見を押し通すことであると言えます。
一方自分軸で生きる、と言うことは自分の意見をしっかり持ちながらも、他者の意見にまずは耳を傾ける力があることではないでしょうか。
境界線を第三者から越えられる人は、まずは自分の思いを大切にすることを心がけてみてくださいね。
そんなあなたは、本当に優しい方なんだと思いますよ!