私が小5まで育った家は木造のおんぼろアパートでした。
一畳の台所、その奥には4畳半、そして6畳の畳の部屋。お風呂は外にありました。
ここに弟2人を含む家族5人で生活をしていたのですが、私のお気に入りの場所は
母が学生の頃使っていたお古の私の勉強机と、洋服ダンスの間のわずかなスペース。
(母のお古って、本当に昔の机です~)
そこから外を眺めて、いつか家の中に階段のある家に住みたいと
空を仰いでいました。(つまり一軒家ということ。子供の頃だったのでそう思ったのですよ)
うちが貧乏だったため、私は大学に進学できませんでした。
親に頼みこんで行かせてもらえたのは、2年制の短大。
当時母は「男の子である弟達は4年制に進むだろうから、あなたには悪いけれど
短大にしてね。それがうちには精一杯なのよ。」
と言われていました。
その時に
「絶対に豊かな生活を手に入れてやる」
と心に誓いました。
そして月日は流れ、今現在。
アメリカというお国柄もあるのですが、あの木造おんぼろアパートの
10倍近くの広さの家に住んでいる私。
まさに子供時代、憧れだった家の中に階段のある家です。
人生に逆転はあるのだと身を持って実感をしています。
そして昨日。
遠く離れた場所で寮生活をしている長男が、私達の家に夏休みに入ったために
戻ってきました。
飛行場に現れた長男は、また一段と大人っぽくなっていました。
家に向かう車の中は、半年間離れていた時間の報告話が盛りだくさん。
寮生活のこと、友達のこと、クラブ活動のこと、そして、、、
「僕ね、成績学年2番に入ったよ。」
「え本当に
」
私達夫婦は心底たまげました。
それは、、、
息子は中学受験の時、とても辛い経験をしました。
それは仲良し3人で受けた学校に、うちの息子だけ落ちてしまうと言う経験。
インターネットで合格発表が行なわれたのですが、
その事実を知った時、息子は声を殺して涙を流していました。
長い長い間、ずっとパソコンの前で泣いていました。
精一杯頑張ったけれど、力が及ばなかった現実。
私はどう声をかけたらいいかわからず、受かった友達2人もそしてそのママ達も
私達親子にどう連絡を取ったらいいのか悩んだのでしょう、
しばらく連絡がありませんでした。
そんな昔のことをぼんやりと思いだしていた時、
「僕ね、アメリカに来て新しい場所で、
もう一度生まれ変わった気持ちで頑張ろうと思ったんだよ。
だからすごい努力した。本当に頑張ったと自分でも思う。」
そんな事を長男は言っていました。
彼も私のようにきっと実感したと思います。
逆転の生き方もあると言うことを。
パナソニックを創設した松下幸之助は子供時代、貧乏な家に生まれたので、
丁稚奉公(でっちぼうこう)に出されてしまいました。
そんな男の子だった人が、日本を代表するような大きな会社を作りあげました。
ま、松下幸之助氏はほんと、雲の上のようなお方なんですけれどね。
もとい、話を戻しますね。
逆転の生き方ってあきらめない生き方だと思うのです。
でもね、なかなか逆転のチャンスが来ない間って
「もうこのまま低迷した状態なの?」
って不安に思うでしょうし、チャンスはないのではないかって絶望感も感じる。
私がそう感じていたことがあったから。
ですからそこをどう乗り切れるか、
チャンスが来るまでの間、どうやって過ごすかって大切だと思うのです。
我が爪を研いで待っているのか。
めげそうになった時「大丈夫、やれるよ!」と励ましてもらえるのか。
今あなたが辛い状態でいるとしたら。
逆転のチャンスを心のどこかで望んでいるとしたら。
今現在の過ごし方はきっと大切だとおもうんです。
今日のこの日が未来に繋がっているのですから。
どうか、どうかあきらめないで。
今日もブログにお立ち寄り、ありがとうござます。