先日のブログ、「ハッピーストーリーを書く人達」に拍手コメントを頂きました。
最近自分があえて苦しい方、暗い方を選択しているのでは?と思ってきました。
でも明るい道、キラキラした道を選択するのはしんどく感じるのです。
もちろんハッピーストーリーを描きたいのですが想像しただけでもしんどく感じ
ます(;-;)どうしたら抜け出せるのでしょうか?
コメント寄せていただき、ありがとうございました。
この考えに共感出来る方、いらっしゃるかもしれません。
私は「そうだよね、わかるよ!」と実は思いました。
心理学を学んで知ったことがあります。
「幸せになることに怖れを感じる」と言うことが人にはあるらしいということ。
望んでいた人事異動をわざわざ断ったり、
想っていた彼との結婚に迷いが出たり。
「ええ?なんで皆幸せになりたいって思っているんじゃないの
」
はい、そうです。表面上はね。
ここで注目すべきは「自己嫌悪」。
自分はそんな上手く行く人生を歩めるはずがない。
だってそんなにすごい人間じゃないから。
ほどほどで結構。
人生生きるのが大変なのが普通なのだから。
幸せであるはずがない。
そんな考えが根底にあると、自分は幸せでないのが普通と思ってしまうんです。
もっと言うなれば、幸せなってはいけない!位に思うこともあるのだと思います。
皆幸せになりたいと思ってるのに。
なので、「自己嫌悪」を手放すことがとても大切なことらしいのです。
けれども「どうせ自分なんか・・」とか、
「自分の人生は不幸であるものよ。」と人は思いがち。
人間ってそんな思考パターンがあるのだなって知るだけでも大きな一歩。
もしも、「人生はしょせん大変なもの、上手く行かないもの」
と思っていたら
「ちょっと待てよ」
と思いなおしてみてください。
なぜこう思うのかな
親がいつも言っていたから
でも本当にそうだろうか
そう思ってみてください。
本来人生は「大変なもの」ではありません。
幸せいっぱいであっても不思議ではないんです。
そこに疑問を持つと見方がかわります。
人生=苦労、
楽であるはずがない
誰が決めたこと
それはあなたが決めたことかもしれません。
ハッピーストーリー、書いている人は幸せになっていること、
私の元いた会社の同期を見て実感しています。
皆で幸せに感じる人生を作りませんか?
幸せであったほうが、きっと生きていて良かったと思えると思いますからね。
もうひとつのエクササイズとして、出来事をハッピーストーリーに書きかえる、
ということもあげられます。
過去の大変だった時のこと、思いっきりハッピーなこととして書いてみてください。
「ドイツに住んでいた時のこと。
次男の泣き声がうるさいと、隣人から壁を叩かれ、夜中にドアチャイムを
ならされるなど嫌がらせを受けた。警察まで呼ばれてノイローゼになりそうだった。
もうあのドイツには2度と住みたくない。」
ハッピーストーリーにすると・・・
「昔、ドイツに住んでいた時、次男の泣き声がとても元気で、隣人から
嫌がられた経験がある。それだけ次男が健康で元気な証拠だったわけだけれど、
ちょうど転勤で別のドイツの都市に引っ越すことになった時、今度の隣人は
「子供は泣くのが仕事。我々は気にしないよ。」
という言葉をかけてくれた。前回のいっけんで「最初に子供の泣き声について」
を挨拶の時に伝えたのが良かったのかもしれない。
良い教訓になった。ドイツ人の中には暖かい人も沢山いることがわかった。」
事実は同じことなのですが、とらえ方の問題でダークストーリーにも
ハッピーなものにも書けるんですね。
今でも電車やデパートで泣いている小さな子供に出会うと、あのドイツでの
出来ごとを思い出します。
そして、優しい目を向けちゃうかな。
「そうだよね、今は泣きたい気持ちなんだよね。
そしてママもどうしよう!?って思っているかもしれないな。
大変だよね、わかるよ~。」みたいに。
おかげで私もイライラを感じなくて済みます。
今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
良い1日でありますように