昨日のブログ「嫉妬という感情」に寄せられたご質問からです。
回答の柱になっているのは「人付き合いのポイントとは?」という視点。
ブログを読んでいただいている他の方にも参考になれば・・と思います。
質問です。私は無意識のうちに、「それいいね!やろうかー」とか、「それは嫌い」と言う子でした。
それがわがままだったのはわかります。それから小学校高学年になり、まわりにも 「どう思う?」と聞くようにしました。
そのときに、「うん、いいよ!」といいながら、陰で「ほんとはやりたくないのにね」「あいつ、わがままだよね」「好きなことばっかり言っていいよね」など、言われるようになり、長い間、意見を言わないように、でしゃばらないように押さえてきました。
でも、「出していいんだよ」と言われるようになり、普段の生活では、安心できる人の前から出せるようになってきました。
カウンセラーさんに勧められ、ワークに数回出ましたが、そこでは知らない人も多いし、目立たないように、ほかの人と意見が違うときは、まず聞くように、としてきました。なのに、ワーク後にメールが来て「目立ちたがってる気がします」など言われます。その人が目立ちたいんじゃないの?とむかつきつつ、そんな人のまえで、ありのままの自分でいたくない、とも思うようになりました。
出してもたたかれる、出さなくてもいろいろ言われる。これって何か間違っているからでしょうか。私はそんなに不快な存在なのでしょうか。
お名前が無かったので、「さくらさん」と呼ばせて頂きますね。
さくらさんは小学校時代に友達から陰で色々と言われて、そのことが心の傷となってしまったのですね。
それは本当に悲しい経験だったと思います。
さくらさんが「それいいね!やろうかー。」と言ったことは、私は全く問題には思えません。
もしかしたら、否定をする時の「それは嫌い」という発言の仕方に問題があったのかな?
と思いますが、人はもちろん意見の相違が起こることは当然ですし、否定する場面もあるはずです。
人は「共感して欲しい」という気持ちをもっています。
自分の言った事は否定して欲しくない。
「そうだよね、私もそう思う。」のように共感して欲しい。
これを前提にすると、一旦相手の言った事を受け入れて、「私はこう思うんだけれど、どうかな。」
と否定的な意見を言ってみると良いのかな・・と感じます。
けれどもワーク(カウンセリングサービスの母体組織である、神戸メンタルサービスが毎月行なっている
グループセラピーの事)でさくらさんは人と意見が違う時には、まず聞くようにしてきた・・・とおっしゃっていますね。
私としては、さくらさんのとられた行動は間違っていないと思いますよ。
複数の方から「目立ちたがっているようだ。」と言われたわけではなく、恐らくお1人の方からだったのではないでしょうか?
人が受ける印象は様々で、さくらさんのことを「目立ちたがっているように感じる」人もいれば、「特にそうは思わない。」と思う人もいるのではないでしょうか?
けれども、さくらさんは過去の経験から
「1人の人が言っていたら、もしかしたら全員がそう思っているのでは?」
という「怖れの感情」がわき上がっているのではないかと思うのです。
自分の意見をどこまで言っていいものか、関係がどこまで深いものなのかによってまちまちだと思いますが、
人に対する印象をよくするものとして、
「笑顔で話すようにする」⇒あなたに敵意はないという印象を与えるため
「相手の言葉に共感する相槌をうつ」⇒「そうですね、確かに、わかりますなど」
「否定的意見は一旦共感の言葉を出してから、私はこう思う・・と意見を述べてみる。」
「相手のここが良いな・・と感じた点を称賛してみる」⇒声が優しい感じですね、笑顔が素敵ですね、など。
があげられます。
さくらさんは普段の生活でも「安心できるひと」がいらっしゃるようですよね。
そのような人達をこれからも大切にして下さいね。
さくらさんが自信を持って周りの人達とかかわっていけることを祈っております。
今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
良い一日になりますように