貧乏だったけれど愛があった子供時代

このタイトルをみて「なんじゃ、こりゃ?」と思った方もいるかもしれませんね。

野に生えるつくしを食べていた。
夏にはイナゴも食べました。
お腹がすくと、近所のパン屋さんにパンのミミをもらいに行きました。
お腹がすくと、コーラなどの瓶を拾って、それを売って小銭を稼いでいました。

どの時代の話?と思う方もいるかも・・・です。

先日、母が66歳になるから・・・と父と母、私の3人でバースデーランチを食べに行って来て、
「昔はこんなだったよねー」
という話で盛り上がりました。

私と両親は私達の海外駐在中は2年に1度しか会いませんでしたが、
今では1カ月に1度は必ず3人でランチに行きます。
そしてこの両親、戦中戦後生まれなのですが、びっくりするほどラブラブなのです。
今回もコース料理、2人で敢えて違うものを頼み、2人で分け合っていました。

そして私の原点は、それはあの、貧乏だった私の子供時代に行きつくのかも・・・なのです。

私の家族は5人、私と2人の弟、そして両親。
この5人家族で木造アパート、4畳半と6畳、1畳のキッチン。浴室は外、というところに小学校5年生まで住んでいました。
当然ですが、自分のプライベート空間はなし。どこにいても誰かがいるスペース。家族5人で川の字で寝る毎日。

昭和の時代とはいえ、これはかなり貧乏な家。小学生の同級生の家では、お誕生会もあるような時代。
お呼ばれするおうちは一軒家が多かったのに、わが家は木造アパート。
子供ながらに恥ずかしかったのを覚えています。

でも母はいいました。
「お母さん、一生懸命家をお掃除するから。だからお友達を呼びなさい。」

掃除しても家の大きさは変わりません、当たり前です。
けれども私の母は、一生懸命お掃除して、娘の同級生を迎えてくれました。
どんなに小さなスペースであっても。

お誕生会の母の手料理はごくごく普通のものでしたが、そこに子供ながらに「おかあさんの気持ち」を感じていました。
ちいちゃなアパート暮らしで、本当に貧乏でしたが、私は母の愛情を感じていました。

だからきっと、毎日パンのミミをもらいにいったり(パン屋さんもちゃんととっておいてくれている時代でした)、ビンを拾い集める事が楽しかったんだと思います。
両親を助けたい一心があったからです。

子供は自分が頑張ることで、親を助けようとします。
犠牲になることで頑張る子もいます。

皆、親、特にお母さんが大好き。
戦争映画でも「おかあさーーーん!」と言って亡くなる兵士はよく出てきます。

こんな話をしながら、今回も母のバースデーランチは終わりました。
お母さん、本当にありがとうね。
本当にいっぱい大切にしてくれたよね。

私の子供時代は貧乏でしたが、沢山の親密感はあったようです。
それは家が狭いという、物理的なものだけではきっとなかったのかも・・・と最近になって感じます。

昨今、物が豊かになった時代。
でも、もしかしたら「物」も大事なのですが、人は「心の豊かさ」も求めているのかもなぁっと思いました。
なぜなら私の子供時代は本当に貧乏。今日のような暑い夏の時期は、いつもゴキブリが寝ている足元をかすめていくことも日常だったような家ですが、悲壮感はなく、むしろ「これもまたよし!」のような、和気あいあいとした空気が流れていたからです。
いつも家族の愛情があったからです。お金はなかったけれど・・・。
まぁ、とっても特殊な家だったのだと思います、子供や夫に話すと、ドン引きされますので・・・。

1カ月程前、新聞記事の三浦展さんの記事を読みました。
彼は「下流社会」「シェア社会」などの概念を世に送り出した人物。
彼は言います。「お金を稼いで、欲しものを買う。それだけの生活にむなしさを感じる時代が来た」と。
「物を買いあさることより、人と繋がること、嬉しさを共有することが重要になってきつつあると分析します。」
ともいっています。

「物質的豊かさ」の次は「心の豊かさ」なのかもしれません。

今日もブログを読んでくださりありがとうございます。
よい一日になりますように

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

この記事を書いた人

沼田みえ子のアバター 沼田みえ子 心理カウンセラー

1968年4月横浜生まれ。夫婦関係、恋愛問題が得意。

JAL国際線CAとして世界中の空を飛んだあと横浜ー大阪と2年半遠距離恋愛だった彼と1994年に結婚。離婚の危機にあった夫と夫婦再構築の時に心理学を知る。2012年よりカウンセリング活動を開始。カウンセリングだけではなく、講演、心理学ワークショップの講師など精力的に活動しています。

目次
閉じる